とごえもんの休憩所

現在更新を止めております。たまに書く予定。

なんのために生まれて なにをして生きるのか

人生の3分の2くらい、自分を抑えて生きようとしていました。

知人友人親兄弟の祝辞弔辞ですら仕事に穴を開けるならば、それは許されない事だとなかば洗脳のように毎日言われ続ける日々も過ごしました。

周りからの圧力もありますが、私は自らを他から隔絶させようとしていた事もあります。

内からの声と、外からの圧力。

実はさみしがり屋の自我。

その狭間で、もがこうとする自分。

 

私の事を指して、なにがしたいのかわからないと評する人もいます。

私の態度を指して、他人を拒絶してると言う人もいます。

昔からいます。

飽きました。

はたしてそういう人達は私を理解するための具体的なアクションを起こした上で私をそう評しているのか?

答えは「否」です。

周りから見てるだけじゃ、人の真意ってなかなかわかんないですよね。

一緒に同じスピードで動かないと。

 

自分がなにをしたいのか?

その「なに」が手段をさすのであるならば、私にもそれはわかりません。

しかし、「どうなりたいか?」であるならば、答えはあります。

 

私は、いつでも会いたい人に会える環境を作りたい。

それは、色々な事に疲れ果て34の時に宮崎に帰ってきた日にもった目標です。

友人知人従姉妹など、ほとんどの人の結婚式やなんやらを仕事を理由にほぼ全て欠席してきた事が、ずーっと後悔として心にありました。

宮崎に帰ってきてからもその呪縛は続き、大切な人の結婚式に出なかったりしました。

会社からダメと言われたわけでもないのに自分でダメと決めつけ、そういう席を辞退してきました。

なんかそういうのって、ずっと尾を引くんですよね。

 

その呪縛って自分にしか解けないんですよ。多分。

それを解くための試行錯誤はいっぱいしてきました。

このブログもその一環。

自らを見つめ、改善していくための手段。

 

よく、「覚悟がたりない」だの「腹を決めろ」だの判で押したような言葉を他人にかける人がいますが、それは自分で自分自身にかける言葉であって他人にかける言葉ではないと思うのです。

だいたいそういう言葉は思考停止を招きます。

言葉の響きは良いかもしれませんが、自分でその言葉の内情を理解して自分に唱えるならばそれは問題ありません。

ですが、他人の感情の中にその言葉を投げると他の道を寸断する呪いになるんじゃないかなーと思うわけです。

 

私は自分で自分を生きるために覚悟を決めてます。

そして、私はそういう生き方への理解を誰にも強制はしませんし、他の方の生き方も尊重します。

色んな人がいて、色んな生き方があるから世界は面白い。

そんな広い世界であっても、自分の人生と交われる他人というのは本当にたかがしれてるんです。

そのわずかな出逢いを大切にし、そのわずかな人達の思いで生かされてるんじゃないかと常々感じています。

 

そんな人達に会いたい時に会える。そしてそんな人を色んな場所につくっていけたら人生楽しいよねと。

 

と、私がお世話になっている方の息子さんが亡くなり、あらためて考え直しました。

私の妻、息子、娘がもし亡くなったらと考えるだけでも心が引き裂かれそうになります。

だから、この時間を大切にしていきたいですし、この時間を大切にするための環境をつくる努力は絶やさぬようにしていきたいです。

 

それでは最後に。

K君のご冥福をお祈りいたします。

むこうでじゅりあーのさんによろしくな。

 

 

 

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